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おまかせ日本料理 味わいの蔵 花藤

【ご案内】

営業時間
昼 12:00~14:00[前日までの予約] 夜 18:30~22:00[20:30 LO〕(前日までの予約) 定休日は毎週水曜日です
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花藤店主 藤巻秀和
花藤店主 藤巻秀和:7
2008年05月30日
老舗とはなんでしょう

老舗 やはり最低でも三代(100年くらい)続いている商売を指すものではないでしょうか?
昨今マスコミにおいて、老舗との紹介がありますが、どう考えても老舗とは言えない店を
老舗と呼んでいるのを耳にします。

そもそも江戸の頃より、商売を三代続けるのはとても大変なことだと、言われていたことにより しにせ 老舗 の言葉が生まれたものです。

昭和の年号に創業した店が、老舗であろうはずが無いのになぜか老舗と呼ばれるこの不思議、困ったものです。

美しい国 日本の大切な言葉 その意味をより大切にしたいものです。

                                         店主
2008年01月22日

仕事に就いてしばらくすると、必ずだれでもいきずまってきます自分自身もそうでした。経験から言わせていただきますと、自分の思うとうりになる理想の職場など、絶対にありません。仕事は端的に言うと 仕事の質がいいか、給料がいいか、人間関係がいいか、この三つのうちひとつでも満足がいくのであれば、その職場には居るだけの価値はあります。最低一年まあ三年ぐらいは我慢してもよいでしょう。逆に全てあてはまらなければ、次の場所に移ってもいいのではないかと考えます。しかしながら移る時期や考え方が大事になってきます。一年や三年の我慢と書きましたが、この区切りが大変大事なのです、一杯一杯の時は今すぐにでも辞めたいところですが、仕事は自己評価でなく、他の人の評価が全てなのです、自分がいくら一生懸命やっていると思っていても他人の評価がついてくるまでには、そこそこの時間がかかるのです。それと時間の区切りにより、責任が変わってきます、責任の変わる時期が一年三年五年とあるので、その時期までは我慢しなければ、次のスタートをゼロ以上で迎えることはできません。なぜなら、評価は他人がつけるものだからです。
よく他人は、ゼロからの出発とか、一からやり直す、とかいいますが、ゼロとか一とかの評価は、その言葉を使っている本人の自己評価によるもので、他の人や他の店のレベルからすると、ゼロ以下のマイナスであることもあり得ることです。

いきずまっている方々は、辞めるのも、続けるのも自分自身の判断ですが、是非とも時間の節目を目安にされてはいかがかと思います。

                                     店主   藤巻秀和
2008年01月22日

お茶事の際の集合時間のお話です
お茶事の始まりの時間は、予め書状により伝達されています。
集合時間に遅れるのはもってのほかですが、早く着きすぎても駄目なのです。
早くとも十五分前、もしそれよりも早く着いてしまった場合は、亭主の合図、(門を手ががりだけ開ける、15センチほど)があるまで絶対に、門を自分で開けて入室することはできません。
早く着いてしまったときは合図があるまで、近くで時間を潰し、合図を待ちます。

お茶事は、ただでさえもやることが多いので、段取りをつけている亭主に対していらぬ気を使わせたり、変に慌てさせようとしないように、との心くばりからのものです。
普段の生活の中でも、訪問先を気遣うようにしていきたいと思います。

                                    店主   藤巻秀和
2008年01月22日

粗茶一服さしあげたく  
 お茶事を催すことを決めると、そのお茶事のテーマや御道具組み、客組み日時などを決めます。
 それぞれの段取りが決まったらまず、お客様に書状を送ります、大体二週間前くらいをめどにお出しします。
 その書状の書き出しが「粗茶一服さしあげたく」 と書くのです。ここで言う粗茶は、最高の美味しいお茶が手に入ったので、と書きたいところなのですが、お客様をお迎えするのに、色々な気使いをさせては申し訳ない、との思いから最高のお茶を用意しているにもかかわらず、謙遜をして粗茶と書くのです。
 決して粗末なお茶をお出しすることはあり得ないのです。
 しかしながら、某国民的漫画 ○ざえさん、等の影響により、間違った使いかたをされていることを、耳にします。
 これもまた、日本の文化の対する悪影響であり、憂うべきものであると、思います。
 自分自身でも知らず知らずのうちに、間違った言葉の使い方をしてる場合もありうるので、気をつけていきたく思います。
                                    店主   藤巻秀和
2008年01月22日

懐石料理っていったいなんでしょうか?
 巷やマスコミでは、懐石料理が高級料理の代名詞であったり、ちょとづつたくさんの種類の食材が出てくる日本料理であったり、いったい懐石料理ってなんなんでしょう?
 因みに花藤は、日本料理屋です。
 
 そもそも、懐石ということを語るには茶の湯を切り離すことは出来ません。 懐石とは、禅林にて薬石に同じ、温石を懐にして心温まるが、ごとし。と南方録に記されています。
 要は暖かい石、温石を抱いて一時の飢渇をしのぐという意味です。 なので、高級料理の代名詞ではないのです。

 お茶事においては懐石は、お濃茶をいかにおいしくいただくか、ということのあしらいにしか、なりません、決して美味しい料理をいただくのが目的ではないのです。
 今頃では、お濃茶をだすこともせずに、美味しくも無い変な薄茶を平気で、出して、懐石料理屋でございます、なんて日本文化を、侮辱した愚の骨頂の店があり、それをなにも調べずにそのまま伝える脳の無いマスコミの影響により、インチキ懐石料理屋が多いことは、憂うことであります。
 花藤では、少しでも懐石に近づけるようにするべく、日々精進させていただいております。
                                   店主   藤巻秀和
2008年01月22日

 料理人を目指す方々へ店主藤巻からのメッセージです。
 日本料理の料理人になりたいのであれば、最低高校卒業程度の学力は必要です。現場の技術職だから学力は必要ないと思われがちですが、物事を記憶する能力や単純計算の速さ様々な角度から物を見ることのできる能力など、頭の回転や賢さが最低の必須条件です。 次に就職する段階に入るわけですが、何があっても最低3年は辛抱する覚悟が必要です。そもそもどんな仕事においても楽のできる仕事なんてありません 特に技術職においては、時間は長いは、休みは少ないは、世間の人とは時間が違うは、先輩は厳しいは、おまけに給料は安いは、と数え上げればきりがないほど一見過酷な環境の中でみんな働いているのです。
 ですから、覚悟と辛抱が必要なのです。
 我々の調理場には、与えられた場所などありません。学校やデスクワークの仕事でしたら、最低でも自分のロッカーと机ぐらいは用意してくれるでしょうが、調理場にはありません では調理場にいさせてもらうためにはどうすれば良いか、先ず先輩のいうことをきくことです、上の者の言うことがきけなければ、何もできない小僧はいる場所が無いのです。次に仕事の内容で、選り好みしないことです。始めは雑用がほとんどです、しょうもないような雑用でもしっかりとこなす事が大事なのです。そもそも技術というものは、1年や2年で会得できるものではないのです。先ずその場の空気感に慣れて、リズムを体に叩き込んで、ほとんど責任の無い雑用を誰よりも確実に早くこなす事により技術よりも大事な、責任感や、段取りを体に染込ませていくことができるのです。
 そうして自然と時とともに、仕事ができるようになっていきます。
 仕事の一番大事な基礎は実は、誰でもできるような雑用の中にあり、です。
 料理人の仕事は大変なことばかりのようですが、何にも変えがたい達成感や天賦の価値を感じることの出来る尊い職業であるとおもいます。
 覚悟のできた方は、料理人になる扉を叩いてみたらよろしかとおもいます。
2008年01月22日
1963年昭和38年 横浜市にて生まれる。

1981年昭和56年 ふとしたきっかけから、実家を飛び出し大阪にて日本
           料理の道に入る、魚嫌いの自分がこの世界に入り魚の
           美味しさに開眼し、またちゃんと仕事することの大切
           さを叩き込まれ、先輩や周りに恵まれ何となくではあ
           りますがこの仕事を続けていこうと思いました。

1984年昭和59年 地元横浜に戻り何件かの店にお世話になりました。

1988年昭和63年 当時師事していた料理長に引き上げていただき、長野
           県蓼科の旅館で初めて料理長になりました、当時の
           蓼科では食材の調達がなかなかうまくいかず思うように
           仕入れができなかったのが残念でした。

1991年平成3年  寒い所が肌に合わず地元横浜に戻ります、料理長とし
           て2件程の店にお世話になりました、蓼科での残念に
           思う経験から、食材仕入れの大事さを肝に銘じお客様
           に喜んでいただけるような仕事をしてきたつもりです。

1995年平成7年  今まで積んできた経験を基に、当地日野にて独立開業
           させていただきました。

2008年平成20年 現在に至る。
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